【125社めぐり】 所管社 御塩殿神社
内宮 所管社 御塩殿神社 (みしおどのじんじゃ)
御祭神 御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)
今日の御塩殿神社を考察する前に…。
昨日の江神社、一昨日の堅田神社、ときて
順番的にも同じ二見にある摂社、神前神社と粟皇子神社…といきたかったのですが
「連れて行ってあげるよ~」と伊勢や度会の友人が言うだけで
トリッキーななか場所にあるので単身(車なし)ではなか行けずにいます。
参拝したら細かく書き留めたいのですが、ざっくりとこの二社を見ておくと、
粟皇子神社(あわみこじんじゃ) は
須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)が祭神で、
スサノオの御子とされます。
神前神社(こうざきじんじゃ) 皇大神宮摂社 は
荒前比賣命(あらさきひめのみこと)が祭神で
こちらもスサノオの子とされています。
同座の荒前神社(あらさきじんじゃ)祭神は荒前比賣命(神前神社と同じ)、
許母利神社(こもりじんじゃ)祭神は粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)。
粟嶋神御魂は少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と同じ神とされ、
荒ぶる荒前比賣命を抑制するために祀られたと考えられているそうです。
須佐乃乎命御玉道主命も荒前比賣命も倭姫に御贄を奉ったり御出迎えをしたりで
この地の神とされましたが(佐見津比女&佐見津日子夫婦とは違い)、
荒前比賣命はちょっとパワフルだったようで、倭姫は少し気圧されていたようです。
(外宮摂社・赤崎神社でも祀られています)
やはりスサノオとのつながり、二見は濃厚ですね。
前置きが長くなりましたが、今日のメイン御塩殿神社を見ていきましょう。
こちらは海沿い、
興玉神社から北上した海沿いにあります。
海風を感じながら御散歩してから参拝するのもオススメです。
訪れた日は、御塩殿神社の大事な祭礼の日。
こちらについても後述します。
御塩殿神社の祭神、御塩殿鎮守神はその名の通り、
神宮御料の御塩の守り神、御塩殿鎮守神とされます。
(神宮会館HP)
また、「塩」由来でしょうか、
塩土翁(しおづちのおじ)であったとする説があるそうですが、
(御塩殿神社 - Wikipedia)
私はちょっと飛躍した推測にすぎないかと思います。
(いつも飛躍している自分が言うのもおこがましいですが)
塩筒老翁が「東に良い土地がある」と言ったことから神武天皇は東征を決意した
というエピソードがありますが、
これは熊野のヤタガラスに擬えた感があります。
シオツチは導きの神でもあるので、おかしくはありませんが
一昨日考察した伊勢津彦の話
(神武に伊勢をいやいやながら譲った件)とは食い違うと思うのです。
元々堅田神社の佐見津比女が堅塩を作っていて、
嫌々ながらアマテラスに献上することにしたようなので
シオツチ=御塩の守護神であるなら、これは裏切りです。
もしくは、元々の御塩の神を左遷して、
シオツチをこの役目につけたのならば辻褄はあいますが…。
ちょっと熊野に合わせたストーリーに過ぎないように感じてしまうのです。
この地にある塩の製造を掌握したかったとしても、
シオツチが御塩の神であるなら神武天皇がシオツチの導きで東征をした時点で成し遂げられていますから
倭姫と佐見津比女のエピソードが重複してしまいますよね。
(まあ記紀には重複エピソードも多いのですが)
何よりこの神社に訪れると、堅塩造りへの敬虔さに打たれ、
「塩の守護神が御祭神であるしかない」という思いに打たれます。
境内に入りますと建物がふたつあります。
向かって左が神殿、向かって右が御塩殿です。
神社後方の松林には、御塩焼所と御塩汲入所もあります。
堅田神社の佐見津比女命が約束したように、
この二見では2000年の間同じ製法で塩がつくられ、神宮に奉納されています。
堅田=塩田?というお話も一昨日しましたが、
御塩浜(みしおはま)という御塩殿神社に付属する塩田が五十鈴川のそばにあります。
(昔は対岸にあったそうですが海岸線の浸食などにより移ったそうです)
ここから濃い海水が毎年夏土用の頃に入浜式で採取されます。
御塩浜から運ばれた鹹水を御塩汲入所(みしおくみいれしょ)で壷に入れて保管し、
御塩焼所(みしおやきしょ)でこの鹹水を鉄鍋で煮込み、
焼所で得られた粗塩を御塩御倉(みしおのみくら)で保管します。
そして、御塩殿(みしおどの、みしおでん)で粗塩を焼き固め堅塩をつくるのです。
この堅塩は毎年3月と10月作られるそうです。
出来上がった堅塩
御塩道(みしおみち)を通っ内宮に運ばれます。
私はソルトロードと呼んでますがこの道は当時の大事な交通ラインでもあり、
御塩殿神社-二見町山田原-二見町溝口-通町-黒瀬町-神久-河崎-吹上-本町-外宮
というルートになります。
現在は自動車で運ばれるそうですが、昔は清浄を保つために
黒瀬町の橘神社での休憩時以外は御塩を入れた櫃を降ろすことは許されなかったと言います。
外宮に奉納された堅塩は神嘗祭をはじめ、
神様に捧げる食事や神宮の祭典にお供えするために用いられます。
上述しましたが、参拝をしたこの10月5日は
毎年、御塩殿祭が行なわれる日です。
より良い堅塩がより多く得られるように祈るとともに、
製塩に携わる作業者の安全を祈るお祀りです。
この5日~9日までの5日間には、
御塩殿で荒塩を三角錘形の土器に詰めて焼き固める「御塩焼固」が行われます。
そうです、これを拝見したくて来たのです。
カメラ小僧のおじちゃんおじいちゃんと一緒に
祭事の間、御塩殿の鳥居の外からカメラを構えていたところ
「今から実演してくれるそうなので、よろしかったらご覧になりますか?」と
神社の方がカメラ小僧一同に声をかけてくれました。
「いいんですか?」とおじちゃんたちとウキウキとカメラを手に鳥居の中へ。
すると「もっと前でご覧くださっていいですよ」と。
一同で「いいんですか!?」とどよめきながら、御塩殿の入口の板垣のまん前まで進み、
私はちゃっかり最前列にかがみこみました(笑)。
塩つくりをなさる方は板垣の奥の御塩殿の建物に入り
社殿を出すぐの板垣との間の白石の上に道具を並べ支度をはじめます。
白石の上には蓆が敷かれ、その上に座られました。
目の前でつくられる堅塩作りの行程は、
大きな鉢に入った荒塩を
三角の土器の型にぎゅっぎゅっと音を立てながら詰めむ、
そのひたすら繰り返しです。
写真でご覧ください。
熟練の作業に悠久の時が重なり、
ひたすら見つめながらシャッターを切っていました。
言葉は要らない、そんな空気です。
年間で年間約300-400個がつくられているといいます。
作業を終えられたあと、誰か年配のご婦人が私の後ろのほうで
「あそこにずっと座っていらして、、、足もお尻も痛そうね」と。
たしかに。
塩つくりも修行や潔斎のひとつなのかもしれないなぁと思いました。
やはりここには人間が割り込ませたいストーリーなどはなくて
ただひたすら真摯に塩作りに携わって来られた皆様の思いだけを感じます。
倭姫もそれを感じたのではないでしょうか?
佐見津比女の無骨な態度には職人気質が隠れているととれなくもないです。
だからこそ、差見津比女&佐見津日子夫婦にはこの塩造りに関わることに専念して欲しいと思い
倭姫はアマテラス大神の部下ともいえる御祭神になさらなかったのかもしれません。
塩はお清め、悪魔祓いにも使われます。
拝見していたこちらまで、神社を後にする頃には何だか清清しい気持ちになっていました。
*貴重な体験をさせていただけて感謝します*
*ありがとうございました*
(2019.10.5.参拝)