伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 別宮 風宮

外宮 別宮 風宮

御祭神 級長津彦命級長戸辺命

所在地:外宮境内

 

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外宮正宮を背中に、亀石の横たわる川を渡り、左手側に曲がったところ。

多賀宮の坐す檜尾山の麓に鎮座しています。

この先は一般の人は入れない、突き当たりになります。

 

内宮 別宮の風日祈宮と同一祭神で、その性質などもほぼほぼ全て同じです。

【125社めぐり】別宮 風日祈宮 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

元々は「風社」の名で別宮所管四社(現在の末社)でしたが、

元寇の際(1281年)勅使が派遣され、内宮の風神社(現・風日祈り宮)と共に祈祭が行われ、

その風の力で元軍を退けたことから、別宮・風宮に昇格しました。

 

実はこのとき、西日本の日本海側、博多湾に近い辺り(元寇が攻めて来た辺り)の

風の神様を祀った神社はほぼ全てが昇格したそうです。

 

この「神風」の力は古くは『万葉集』にも唄われ、

672年の壬申の乱で大海人の皇子を勝利に導いたともされています。

 

また1863年、幕末に外国船が多く来航し国が乱れていた頃には

攘夷の祈願も行われました。

 

このように国難に力を発揮する神と崇められるものの、

元来は「風日祈祭」の行われる農耕の神様です。

 

【125社めぐり】別宮 風日祈宮 - でも述べましたが、

伊勢は風が強く吹く土地柄なので、

その風雨から稲を守って欲しいという祈願は切なるものであったと想像します。

和歌における「伊勢」の枕詞が古来から「神風の」であったことはその表れだと思います。

その「神風」が国防の神のように変化した背景には、稲作の拡大もあったのかもしれません。

稲のとれる地域―その稲を神宮に納める神領御師の活躍で拡大していく時期とかぶっています。

また、神宮への信仰が武士階級にも広がっていく時期でもありますので、

そういった時代の流れによる祈願の変化もあったのではないかと推察します。

 

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もう一点気になりますのは、この「風」の神様が

内宮・外宮と二箇所で祀られていることです。

 

これは、月読尊(月夜見尊)も同様ですが、私はこのふたりのツキヨミは別神だと思っているので

その観点でいきますと、この風宮と風日宮だけが特別なのです。

 

これは浅く考えますと、やはりそれほどまでに伊勢において「風」が脅威であったか…

ということに尽きるかと思います。

そしてその強力な力が脅威である故に祀った神様が敵を退けてくれたのですから、

その後は国難の際には頼もしい守護神ともなるのです。

 

伊勢は台風なども少なく、豊穣な土地だと思います。

伊勢湾台風でも被害が少なかった場所、ということは神宮の御神徳のある土地だからか、

元々古代からなぜかそういった被害が少ない神さびた森であったからここに神宮が鎮座したのか…

ニワトリタマゴではありますが、

神宮の森に包まれていると、古代のアニミズム的な自然の中の神様への思いを感じずにはいられません。