伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

倭姫考察⑪ヤマトヒメよ…君の名は?

昨日倭姫と倭健の関係について述べましたが、

実はこの「ヤマトヒメ」という名はヤマトタケルと同様に俗称(ニックネーム)であったのではないかと、

私は思っているのです。

 

ヤマトのつく古代の皇女や天皇が数人いるのですが、皆、

「倭○○○ヒメ」「倭○○○○王」のような名になっています。

 

有名なところですと、箸墓古墳の埋葬者と比推されている

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)がいますね。

7代孝霊天皇の皇女であるこの方も、巫女だったのでは?とも言われています。

また、初代神武天皇も「神倭伊波礼比古命」という諡号(送り名)がついています。

(この倭のつく諡号は祟神天皇以前に多いです)

 

俗称「倭姫」は沢山いらいたのでは?と思わざるを得ないのです。

 

f:id:itoshiya8ise:20200420095540j:plain

 

倭姫という名で『古事記』『日本書紀』『万葉集』に登場する皇女がもうお一人いることをご存知ですか?

 

それは、大化の改新で有名な中大兄皇子天智天皇)の皇后倭姫王です。

この姫も謎の多い方なのです。

 

倭姫王は「王」の名がつくように、正確には皇女ではなく皇孫です。

父は舒明天皇の子・古人大兄皇子(母は蘇我馬子の娘)です。

この古人大兄皇子は「大兄皇子(皇位を継ぐ順が一番目)」でしたが、

中大兄に滅ぼされ、即位はしていません。

 

そして、ここが昔から「謎」と言われているポイントなのですが、

後に皇后になるくらいに高貴であるのに、母が不明なのです。

 

歴代の天皇の皇后の母方の出自が不明であるとは何とも不自然ですよね。

母方の氏族の後援は重要なのです。

しかも、日本書紀の編纂を始動した天武天皇のつい先代、

しかも天武天皇には兄嫁に当たるはず…その母を知らないわけはありません。

都合が悪くて消された記録なのか、または「倭」と言えばもうわかることであったのか?

 

歴史学的には、

「倭」の名は、百済武寧王の後裔を称する渡来氏族の倭(やまと)氏に養育をうけたため

と考えられていますが、それならば逆に不自然ですよね。

そこまで後世でも推察出来るのに、なぜ母が不明なのか?

当時はせ母方で養育されて、その地名が皇子の名前にされることが慣例でしたから

せめて○○の娘、くらいの記録は残るはずです。

 

f:id:itoshiya8ise:20200420095634j:plain

 

この謎を解くヒントは実は「万葉集」にあります。

倭姫皇后が詠んだ歌は巻2「挽歌」に3首残されています。

最初の一首が

 

天の原ふりさけ見れば大君の御寿(みいのち)は長く(あま)足らしたり

 

これには「天皇聖躬(せいきゆう)不予(ふよ)の時、大后の奉る御歌一首」という詞書がありますが、

これがなければ「天皇の御世が末永く続きますように」という祝歌にもとれます。

 

その次の歌は「急病の時」という言葉のもとにあります。

 

青旗の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども(ただ)に逢はぬかも

 

意味は、青旗の木幡(地名)の上を天皇の魂がさまよっているのが見えるけれど

直接にその御魂にお会いできなさそうです、といった感じです。

 

この歌の意味がよくわかっていないので、(特に「青旗」についてが謎とされています)

井沢元彦氏は小説『隠された帝  天智天皇暗殺事件』の中で

天智天皇の暗殺を暗喩」と捉えていますが
(これはこれで興味深く面白いのですが)

この一首は、倭姫皇后が我らが倭姫と同様であったととらえればスッキリします。

倭姫皇后も巫女、しかも伊勢の斎宮であったのではないでしょうか?

 

そう考えてこの歌を見ますと、天皇の魂を霊力で捜して身体に戻そうとしているのです。
天皇の御魂を見つけたけれど、直接会えないのでお身体に御魂を戻せない、

と言っているのでは?と思います。

そうなると諸先生方が意味を確定出来なかった「青旗」は呪術の道具ではないでしょうか?

むしろ「木幡」は地名ではなく、万葉仮名表記にある「木旗」が正しく、

「青旗の木旗」が呪術の道具か様子を表すワンワードになっているのではないでしょうか?

旗は印としての役割だけでなく、戦場などではその旗を奪うことは相手を屈服することですよね。
相手の印である旗…旗は古くは呪術にも使われていたのだと思います。

持統天皇の「白たへの天の香具山」の歌でも「呪術で使う白い布」を指すとされていますから。

 

また、この当時の女官(采女)の装束にあった「ひれ」(ショールのようなもの)や

着物の袖を振ることにもお呪い的な意味があったとされていました。

 

歌を詠むことにもお呪いの意味がありますので、

一首目のような天皇賛美の歌で天皇の長寿を祈願したりもしていたのだと思いますが、

この意味が不明な二首目は、歌自体ではなく皇后の行為が呪術だったと思うのです。

 

f:id:itoshiya8ise:20200420095720j:plain

 

つまり、倭姫といえば伊勢の斎宮であり

中大兄皇子蘇我氏などの有力豪族の姫ではなく倭姫を皇后にしたのには

巫女の持つ「妹の力」に頼ったからではないでしょうか。

 

そうでなければ、そもそも自分が滅ぼしたライバルの娘を皇后にしないかと思うのです。
(娘を大事にすることで古人大兄に祟られないようにしたのかもしれませんが、

 この時代はまだ祟られそうなものは遠方に追いやっていた時代かと思います)

 

前述した倭迹迹日百襲姫命三輪山の神と縁が深いことから、やはり巫女的な背景があります。

ヤマトトトビモモソヒメに「倭鳥飛百十姫」と訓を当て、脱魂型の巫女を表すという説があるので、

倭姫にはやはり自分の御魂を飛ばす…幽体離脱のような力があったとされていたのでは?と思うのです。

 

やはり「倭姫」は俗称もしくは役職名で、「倭姫」と呼ばれる巫女は複数いたのです。

 

アマテラス大神の御杖代の倭姫とヤマトタケルのヤマトヒメは別人ではないでしょうか?

ですから「妹」の意味の強い漢字を当てたのに、ヤマトヒメと御杖代の倭姫が混乱して「をば」と誤読されたのでは?
ヤマトタケルノミコトが伊勢の斎宮を妻としてその霊力を頼ったとしたほうが、シナリオもシンプルですよね。

 

御杖代の倭姫も、もしかしたら複数の巫女のお話ではないでしょうか?

一人の巫女の旅としては険しすぎますし、

先代の豊入鍬姫について考えても、一代一社で移っていったのではないかと思うのです。

この時代は天皇も即位毎に都を移している頃です。

そう考えたほうが当時の感覚とフィットすると思えませんか?

(「倭姫世記」には豊入鍬姫も4つの社を巡っていますが、後世の脚色があると思えます)

もしくは、その霊力で魂だけをアマテラス大神のお供をして

身体は常にどこかのお社にあったのかもしれません。

それならば、あの乙女岩にも上空からひとっ飛びですね。

 

そもそも「倭国の姫」とは名前としてあまりにも大雑把過ぎますよね?

「倭姫」「倭健」を今風に考えると「日本姫」「日本太郎」です。
倭健は、尊称として与えられたものだと『古事記』にわざわざ記載があります。

このことからも「倭姫」=「伊勢に仕える倭国の姫巫女」という役職名
と、私は結論付けたいと思います。