伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

倭姫考察⑥倭姫伝説の地へ行ってみた~櫛田川&姿見の池編

倭姫の足跡は、伊勢に入ると伊勢湾沿いに内宮を目指してひたすら南下…

のように感じられる倭姫の足跡ですが、

伊勢にいますとそのラインから外れた場所にも倭姫伝説の地を発見したりしますし、

そもそもそのラインがけっこう蛇行していることにも気付きます。

 

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伊勢国に入ってからの倭姫は「川を下って」という伝承のお話が多く、

宮川やその支流の一の瀬川など川沿いにも倭姫の足跡が多いです。

 

そしてこの櫛田川にも、倭姫の伝説が…。

 

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「櫛田グリーン」と友人たちと読んでいる、エメラルドグリーンに輝く美しい櫛田川は、

主に松阪市の山間を流れています。

 

水量が豊かで、夏は子供たちが泳ぎに来るのですが、

大雨の時は↑の写真の橋まで水が上がるほどの激しい川でもあります。

 

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この川の名の由来が、

倭姫がアマテラス大神の鎮座地を求めて諸国を巡行の際、

この地で櫛を落とされたことからこの名がついたとされています。

 

またこれにならい、歴代の斎王は群行の際、

櫛をこの川に捨て神に仕える決心をしたという言い伝えもあるそうです。

 

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そしてこの櫛田川沿いには「姿見の池」と呼ばれる

倭姫縁の場所があります。

それがこの大きな巨岩です。

ただの岩というより磐座のような佇まいです。

 

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堆積岩と思われる岩で、まるで大きな船のような形をしていて、

横から見るとかなりの高さがあります。

そして真ん中に大きな窪みがあり、そこに水が湛えられています。

 

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由緒書きには

垂仁天皇22年天照大神の御鎮座地を求め伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅した時

作滝村の滝野神社(明治44年水屋神社に合祀、現公園)に泊まられ

この下の川辺「姿見の池」で白馬を伴われ
自分の姿をお写しになり化粧をされたと言われています」

 

「お馬さん池」と地元では呼ばれるようで、

これは、倭姫が馬に乗ったまま姿を写したため」「底に馬の足跡がある」などと言われ

地元では「この水を抜いてはいけない」とも言われているそうです。

 

 

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倭姫気分で池を覗き込んでみますと、

確かに今も姿が映りそうに洋々と満ちた水が光に映えて美しいです。

 

お化粧と言いましても、今のように下地からばっちり作りこみ、目元も色々…はせず、

きっと紅を差すくらいでしょうから、確かに出来そうですね。

櫛ももしかしてこの時落とされたのかも?と想像が膨らみます。

 

また、化粧は神に仕えるためにしたものだ、という話を聞いたことがあります。
そう考えますと、倭姫にとってはただの身づくろいではなく、大事な作法のひとつだったのかもしれません。

 

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 「倭姫命世紀」に

 

垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、

お迎えした飯高氏の族長、乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの地の国名を聞かれ、

乙加豆知命が「飯高国」と申し上げると、「飯高(ご飯が茶椀に高々と盛られている)とは貴い」と

およろこびになった
水屋神社さんHPより抜粋)

 

という記述があるそうです。

 

倭姫命世記」が「皇大神宮儀式帳」よりも、倭姫のお立ち寄りポイントが多いのは

もしかすると成立過程でいこういった伝承の地を入れ込んでいったからかもしれませんね。

 

そして、その伝承が伝承を呼び「あれ?ここにも倭姫?」という場所が派生したのでは?と思います。

それほど倭姫とアマテラス大神が、伊勢国で有り難く大事にされている証でもあると思います。

 

また、昨日の宮川沿いの「久具都姫神社」もそうでしたが、

共に水害の多い場所です。

川沿いにこうした倭姫伝説が多いのは、

倭姫にお願いをしてアマテラス大神に土地の安寧を祈願してもらったからかもしれません。

 

その神事のために倭姫は姿見の池で化粧をされたのでは?

だとするとやはり姿見の池は磐座なのではないか?とも思うのです。

 

 

 

*水屋神社さんのHPの他に

 先代宮司様ブログを一部参考にさせていただきました。
   倭姫伝説ー姿見の池 - 私、水廼舎學人です

  倭姫伝説ー白馬モニュメント - 私、水廼舎學人です

 水屋神社さんは何度も訪れていて祭事に参加させていただいたこともあるのですが、

 何とも奇遇なことに、先代の宮司様は、私がお世話になっている某真珠屋さんの社長のお友達なのだと最近発覚しました。
 その宮司様のブログにこのようにまたご縁をいただいて、お導きくださったことに感謝いたします。