伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

倭姫考察④倭姫伝説の地へ行ってみた~乙女岩編

伊勢市のすぐお隣。
山と川が美しく、抜群にお米とお茶の美味しい度会町

私も大好きで時々遊びに行くこの度会に

地元の方々が大事に守っていらっしゃる倭姫縁の場所があります。

 

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それは「乙女岩」と呼ばれる磐座(いわくら)です。

 

「磐座って何?」と思われる方も多いと思います。

日本各地、古来から「岩」って大事にされていると思いませんか?
立派なお邸のお庭に巨大な岩が据えられていたり、

築城に大きな岩を使っていたり、

神社やお寺にお祀りされていたり…。

国家も「岩」の生成に擬えて繁栄を歌っていますよね。

 

これらは「磐座信仰」が由来していると思います。

 

日本は自然信仰(アニミズム)が元来の信仰でありました。
山や海、自然に感謝し、山や海、川そのものをお祀りするのです。

それが次第に「山の神」「海の神」「川の神」とそこに住む神様を祀る神道に転換していきます。

今でも三輪山など山を御神体にする神社さんは多いですよね。

 

岩や巨石を祀るのもその流れで、特に岩には長寿の力があるとされていたようです。

君が代」の歌にもその信仰が見られます。

 

また、神話にも語られています。
アマテラス大神の孫・ニニギの命とイワナガ姫のお話です。

山の神オオヤマツミはニニギの命に娘のコノハナサクヤ姫とイワナガ姫を嫁がせますが、

ニニギの命はイワナガヒメを「俺好みの美人じゃないから」とオオヤマツミの元に返します。

怒ったオオヤマツミ

コノハナサクヤ姫は花のような繁栄を、イワナガ姫は岩のように永遠をと祈願して差し上げたのに!
 YOUの寿命なんて短くなってしまえばいいYO!」

と呪います。これが人間の短命のはじめ…とも言われています。
(妊娠したコノハナサクヤ姫をイワナガ姫が呪ったという説も日本書紀にはあります。)
仁徳天皇の皇后・磐姫が嫉妬深かったとされることと関係しているかしれませんね。)

 

というわけで、
「磐座には霊力がある!」という信仰が盛んであったことはおわかりいただけましたか?
特に大きなものや不思議なかたちのものは、現代にもその信仰が色濃く残っていますよね。

(熊野の奇石・花の窟、鬼が城などなど)

 

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度会や伊勢界隈にも「おおむ石」「山崎の大岩」など有名な磐座がいくつもありますが

今日ご紹介したいのが「乙女岩」です。

 

度会町のHPでは保存にご尽力している地元の方がこのようにご紹介していらっしゃいます。

 

其の昔、天照大神が奈良芦原の都より伊勢の国へ御行幸の折、

川上、乙女岩の上にて一夜を明かされたとの言い伝えを先代故人より伝え聞いて居ります。

私共川上老人倶楽部に於いて、年に一、二度清掃などを行って居りますが、

世の人には忘れ去られ勝にて、日の目に当たる折も少なく静かに眠って居ります。

願わくは世の人に少しでも語り伝えられて居る伝記の古財を御紹介して戴ければ光栄と存じます。

川上老人倶楽部一同
 (度会HPと情報共有している伊勢志摩きらり千選より抜粋)

 

私が実際に行ってみましたのは、3年半前、2016年の9月です。

地元度会で史跡保護をしている方々に引率していただきました。

↑はその入口です。

写真にはありませんが、わかりやすい標識があります。

 

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乙女岩は清流一之瀬川の上流、川上地区にあり、「川上の乙女岩」とも呼ばれます。

堆積岩が隆起して出来た大きな岩で高さは36mもあるそうです。

入口付近にも小さな堆積岩が転がっています。

 

地元のMさんたちが、前日までに切り開いておいてくれた道を行ったのですが、

軟弱な都会っコの私には「これは、道じゃない!(爆)」としか思えなレベル(笑)。

この乙女岩は地元では遠足で訪れたり、子供たちが遊びに来たりする場所だそうですが

正直しんどい!(笑)

 

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そしてついに頂上へ!

なんと、大きな鎖が下がっています。

ロッククライミング気分です。

 

ここに、倭姫が登って休憩をした???
この険しい岩の上に?
当時はもう少し地形が違った?
それともお供に背負われたり輿とかで?
いやいや、倭姫は恐ろしく健脚なのかも?

登りながら疑問が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
これは言い伝えであって、フィクションなのでは?と思わずにいられませんでした。

 

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が、その頂上に出て驚きました!
道中とは違って頂上は滑らかに平になっているのです。

 

思い浮かんだのが、なぜか石舞台古墳

あの石室の上の石を数十倍にした上に乗っかっている気分です。
(この頂上は5m四方くらいあるそうです)

 

そしてこの見晴らし。

度会の美しい自然と田畑、川上の元の集落と新しい集落が眼下に一望出来ます。
そして目の前には広がる伊勢の山々。

 

そこでようやっとこの地に倭姫伝説が残るわけがわかりました。
倭姫は、ここから国見をしたのではなでしょうか。

 

この度会の地をアマテラスが祝福を与える(=治める)ために必要な要素だったので

この伝説が生まれたのではないでしょうか。

 

(国見とは、施政者(宗教的トップも兼ねる)が国を見渡し
 和歌等で祝福の言葉を与えることでその地の安寧と繁栄を祈ることをいいます。

 昨日一昨日の記事もご参照いただける幸いです。)

 

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そして、この磐座の近くには「玉串さん」というお宅があるのですが、

御先祖様が倭姫に玉串を捧げ、それを喜ばれた姫からこの姓を賜ったそうなのです。

 

これはもう、ここで神事を行ったとしか思えません。
それが「国見」を伴っていたと、私は思います。

 

何事も「現地に行ってみないとわからない」とはよく言いますが
まさに聞くのと行くのは大違い!

 

度会はこのように地元の伝承が色濃い稀有な場所だと思います。

そして度会は人もいい。良い人が本当に多いんですよ。

是非、三重にお越しの時には度会町にもお立ち寄りすることをオススメしたいです。
(今後、他のオススメプレイスIN度会もちょいちょい出て来ますのでお楽しみに)

 

倭姫も地元界隈の人々に「良いところなので是非に」と薦められたのかもしれませんね。