「日本は特別な国」思想と神宮・風宮とコロナ禍
「日本人は礼儀正しい」と海外の方から言われますと
「そうでしょう」と誇らし気に胸を張る方は多いと思います。
また、日本人の礼儀正しさは「神道」が根ざしているからであるという解釈をする方も多いでしょう。
神道は宗教ではなく、茶道や華道、武道と同じく「道」。
これは友人の口癖なのですが、ではこの神道のスピリットって何でしょう?
私はこの神道のスピリットが他国のパトリオットな精神とは一風違った
「日本は他とは違う」という妙に斜に構えた愛国心の肝になっていると、常日頃から思っています。
「日本は他とは違う」と海外の方から言われたりすると、
日本人は自国民に褒められるよりも誇らしく思うことが多いです。
「日本の細やかな技術」を海外の方に褒められて悦に入るようなTV番組も人気ですよね。
海外にも「騎士道」の精神はありますし、日本人以上に丁寧で親切な国もあります。
それでも日本人は「他の国とは違う」と思いたがります。
この不思議な愛国心を突き詰めて行きますと、
「日本は八百万の神に守られた国」だから「日本人は海だけでなく神に守られている」から
「日本人は特別だ」という信仰に根ざしたスピリットに行き着くと私は思うのです。
この「日本人は神様に守られている」という信仰は、伊勢神宮にも顕著に見られます。
皆様、外宮の「風宮」、内宮の「風日宮」を御存知ですか?
共に橋を渡り、本殿とは少し離れた場所に建つこの宮こそ、「日本を守った」神様のおわします宮なのです。
その神様とは「級長津彦命(シナガツヒコノミコト)」と「級長戸辺命(シナガトベノミコト)」というペアの神様で
イザナギ命の御子神であると言われています。
外宮では「風社」と呼ばれ外宮所管の田社(末社)で、風雨を司ることから農耕の神とされていました。
「風日宮祭」という祭事も行われ、神嘗祭では懸税(稲穂)が供えられる末社の中でも特別な神様でした。
内宮でも「風神社」とと呼ばれ、同じく農耕の神様として祀られていました。
ところが1281年、元寇が襲来したことをきっかけにこの神様がバージョンアップするのです。
蒙古襲来を何が退けたか、皆さんも歴史で習われたと思います。
逆にそうです、教科書にも載っているのです。
それは「風」でした。
元寇の際に勅使(天皇のお使い)が外宮・風社と内宮・風神社に詣でて祈祭が行われます。
「なぜ農耕の神様に?」と思われるかと存じます。
実はこの風の神様は672年壬申の乱で大海人皇子を戦勝に導き、万葉集にも唄われているのです。
そのことから、戦勝祈願が行われたのだと私は思うのですが、真偽は不明です。
さて、その風の神様が願いをお聞き届け下さり、突風を吹かせて蒙古軍を追い払います。
そう、これが「神風」です。
朝廷はこの神風に感謝し、
外宮の風社を別宮「風宮」に、内宮・風神社も別宮「風日宮」に昇格させました。
それに伴い、西日本の日本海側、博多湾に近い風の神を祀った神社はほとんどが昇格したそうです。
(蒙古が攻めて来た辺りですね)
当時の人々は勅願が叶ったことから、日本は神様が守る特別な国だと思うようになったことと思います。
そしてこの風の神社の昇格に伴い、民衆にも「神風」の話が伝わっていったのではないでしょうか。
今回のコロナも海外からもたらされた役災であると捉えられると思います。
ですが、日本は未だに「対岸の花火」的な気分が続いているように思われます。
いくらなんでもイタリアやスペインやイギリスやアメリカみたいにならないよ、という妙な過信です。
そこには、海に守られた島国スピリッツもあるとは思うのですが、
「日本は他国とは違う」「神様に守られた国だ」という神道的なスピリッツもどこかにあるのでは?
と思わずにいられません。
今回も神風は吹くのでしょうか?
ちなみに、海からの災いといえば江戸幕末期の「黒船襲来」を思い浮かべる方もいますよね。
実はその頃にも勅使が神宮に来ています。
1863年(文久3年)5月に外宮・風宮と内宮・風日宮で攘夷の祈願を15日行っているのです。
その結果は、、、御存知の通りですね。
ですが、大きな戦争にはならなかったという点では守ってくれたのかもしれません。
今回の災厄も追い払ってくださるよう、遥拝しましょうか。
毎年5月14日と8月4日には風雨の順調と五穀豊穣を祈願の「風日祈祭」が今も行われています。