【関東民でもわかる伊勢のざっくり地理】 山田と宇治と古市と、そして河崎
「私、今度伊勢神宮行くんだ~」
「わぁいいねぇー」
「私も行きたい~」
「伊勢って、何県になるの?」
「え?」
「え~と…」
「愛知じゃないし、和歌山でもないし…」
「み、三重?かな?」
↑ これ、関東民の認識です。
悲しい哉。
恐ろしい程に関東民は紀伊半島の知識がありません(すみません)。
スピリチュアルブームだか令和効果だか、伊勢への観光客は増えていますが
内宮界隈だけが盛り上がっている感じです。
「え?伊勢神宮ってふたつあるの?」と聞かれることもしばしば。
河崎の歴史に踏み込む前に、伊勢の地理を整理しておきたいと思います。
題しまして「関東民でもわかるお伊勢さん界隈のざっくり地理」。
電車でお越しの場合、下車されるのは「伊勢市駅(JR・近鉄)」もしくは「宇治山田駅」(近鉄)が多いですよね。
外宮へは伊勢市駅から参道を真っ直ぐ歩いて早足で5分程。
内宮へは伊勢市駅・宇治山田駅もしくは五十鈴川駅からバス。
外宮そばのバスターミナルからも内宮方面とを繋ぐバスが出ています。
さてこの神宮の玄関とも言える「伊勢市駅」ですが元々は「山田」駅でした。
この地一体は古事記の時代から「山田原」と呼ばれ、
(現在より広域を表したそうです)
有史以前からの居住後もある古くからの集落だったようです。
そこに外宮が鎮座し、「山田」と称される町へと形成されていきます。
では「宇治って何?」となりますよね。
「京都の宇治とは違うの?」とも聞かれます。
「宇治」という地名の発生を調べてみると、
伊勢も京都も「うち」という言葉から派生しているようです。
伊勢の場合は「神宮(内宮)のうち」つまり、内宮の門前町(鳥居前町)を指します。
私見ですが外宮(山田)に対して、「内宮」の「うち」とも懸かっているのかもしれません。
そしてその外宮と内宮を繋ぐのが、伊勢街道―古市です。
古市街道と呼ばれる地図上のオレンジのラインの地帯は江戸時代頃から花街が成立し、
旅籠やお茶屋さん、遊郭等が建ち並び、お伊勢参りのお客様をおもてなししていました。
旦那衆だけではなく、夜早い時間迄は遊女の舞や芸能を見る奥様方もいたそうです。
ちょっと昔の歌舞伎町のような感じかもしれません。
映画館もあり、劇場もあり、キャバクラあり…のような。
「聖」あれば「俗」ありでしょ。
これは、ブラタモリで古市を訪れることになったタモリさんの名言。
昔はお伊勢参りはエンターテイメントだったのです。
ですので、門前町(鳥居前町)である山田と宇治と共に古市の町が活気付くのですが…。
この山田と宇治、仲が悪いんです!
南北朝時代前後には、山田が宇治への道を封鎖したり火をかけたり、宇治も山田に火をかけたり…
激しいバトルが繰り広げられます。
隣の中学校同士は仲が悪い。というようなものかと思いきや、
利権争いも絡んでいるので、かなり長年この攻防は続きます。
明治22年(1889年)には「宇治山田町」が出来るのですが、勿論ここでも揉めたそうです。
これは、伊勢の人は県外の人にはあまり言いませんが、
今でも宇治と山田は仲が悪いですねぇ(はっきり)。
そして山田とも宇治とも違う独自の路線をひた走るのが、そう、河崎です。
河崎の独自路線は商人と自治の町・堺を彷彿とさせられさえします。
立地としては古代の山田原になると思われるのですが、
元々の集落の起源が別だったようで、平安時代には既に山田とは分けられていました。
以上本当にざっくりとした御案内でしたが、いかがでしたでしょう?
このバックグラウンドをちょっと頭に入れておいていただくと、
伊勢の町が少しだけわかりやすくなるのでは?と思います。
余談ですが。
仲が悪いと言えば、JRさんと近鉄さんもなかなかかと…(笑)。
観光客目線で言うと伊勢市駅の参道側はJRと近鉄の改札があるのに、河崎側には近鉄の改札しかない!
近鉄はICカードが使えるのに、JRは使えない。
以上の点が混乱の極みです。
(観光でお越しのときはお気をつけくださいね。駅員さんたちは親切なので御相談を)
伊勢市駅の参道側と河崎側がツーカーになるのを心待ちにしています。
*山田の歴史、宇治の歴史、古市の歴史についてはいずれまたそれぞれ分けて書きたいと思います。