これが明治生まれの古民家の今@伊勢河崎
今回は私が「いと志や」店舗としてお借りしていたN邸(N家所有古民家)と
河崎の建物についてちょこっとお話したいと思います。
N邸は明治35年築の元履物問屋さんです。
↑写真は、昭和のN邸。
正面口を右サイドから撮ったものです。
町の有識者の皆様、ご親戚の皆様の証言からどうやら戦後すぐに撮影されたようです。
↑は裏手の勢田川側からの写真。
裏口(〇Tのマークの扉)があります。
これが今は「地下室」と呼んでいる部分です。
どういう造りになっているかというと、
↓現在のN邸断面図です。
昭和40年代に勢田川は護岸整備が行われました。
それまでは↑の写真のように、
舟をダイレクトに裏口につけて荷物を運び入れることが出来ていたのです。
河崎は勢田川の水運を利用して栄えた問屋町です。
ですので、仕事の効率化のために
ほぼどの問屋さんにも舟からダイレクトに荷貨を下ろす建物構造が採用されていたそうです。
イメージとしてはベネツィアです。
水路からホテルにそのまま入れる、あの感じに近いですね。
N邸は川沿いから本通りの傾斜面に建てられたので↑図のような構造になっていたのです。
やはり昔の建物の構造にはきちんと意味があるのです!
それが護岸整備を行われたために、裏口は機能しなくなります。
現在の裏口側からの様子です↓
ちらりと見えているのが裏口です。
その上の窓は1階ベランダです。
護岸整備で作られた遊歩道がほぼ1階(正面口のある階)とほぼ同じ高さになっていますね。
護岸整備は七夕豪雨の後に、町の人を護るために整備されたそうです。
そのために河崎の風情は減ぜられてしまいましたが…。
遊歩道はお散歩やジョギングのコースにぴったりで
河崎の皆様に愛されています。
私も愛犬たちとお散歩を楽しませていただいていました♪
勢田川の風が気持ちいい!
河崎にいると「人々の今の生活」と「古き良き物を遺したい」という思いと
その落としどころはどこにあるんだろう?と常々考えさせられます。
個人的には、私は住まわせていただいていた者ではあるけれど、町は住んでる皆様のもの。
一部の思いをそれぞれ抱え込んだ構想を対立させるのではなく、
開けた町づくりをして、もっと町の人の声や思いを聞いていくことが一番大事では?
と思っています。
というわけで、不思議な不思議な河崎の建物の成り立ちをちょこっとお話しました。
まだまだ色々な建物が遺されている河崎。
その他の建物については、いずれまた…♪