伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

大雨と昔からの町づくりと古民家

前回の続きです。

大雨で勢田川が氾濫したとしても河崎は多分そこそこ大丈夫なお話。

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まずは伊勢市広域から見た河崎の町ですが、

伊勢市自体が海抜は低いです。

地名にも表れてますが、元々湿地だったり水田だったりした場所が多く、

宮川が暴れ川でよく水害にも見舞われたそうです。

 

その中でも河崎はじんわりとちょっとだけ高い位置にあって、

勢田川から水が来ても通り過ぎ、ちょっと低くなっている西側の道路(八間道路)に流れていくしくみだそうです。

 

実際、私が河崎に越す2年前(だったはず)に大雨が降った時も、

河崎よりも道路沿いのお店が床上浸水をしたり、通行止めの道が出たりと被害が大きかったそうです。

 

河崎の町は水運で室町時代にはもう栄えていたようです。

その町を守る知恵の一つが

「川の水位が上がっても安全なように、水の逃げ道を作ること」だったのだと思います。

河崎は問屋町ですから、大事な商品が水に漬かるのは絶対NO!です。

その昔からの試行錯誤が今の河崎の町の基盤にあるのですから、現在の新興の宅地よりも安心安全だと地元の皆さんが太鼓判を押すのも頷けますね。

 

更に当店「いと志や」としてお借りしていたお家は河崎の中でも一番高くなった位置にありまして、かなり安心だと言われました。

その理由は昔から町の真ん中だったから、です。

ここに最初に橋がかけられ、そしてその橋の下を舟が通り、少し高さが出たのだと思います。(私見

勢田川沿いの遊歩道を歩いていただくと実感できます。

(↑の写真でも傾斜があるのがおわかりいただけるかと思います)

 

が。

実はこちらの建物には地下室がありまして、その大雨の時には地下室は浸水したそうです。

ですが、1階の床上にはまず水は上がって来ないのでは?という造りになっています。

断面図はこちら↓

 

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*護岸は昭和40年代に七夕豪雨の後に整備されたそうです。

 

この造り、この立地でもし2階まで水が来たとしたら、多分伊勢市沈没レベルの大雨だと思われます。

 

(なぜこのような造りの建物になってるかはまた別のお話でしたいと思います)

 

ただ、昨今の災害は過去の記録がある中での災害のレベルを軽く上回って来ていますから、

安心は出来ません。

 

ハザードマップでは、避難場所は近隣の学校になってますが、実はいと志やの方が海抜ちょっと高いですし。

実際に何かあったときに、自分がどの経路でどこに逃げるかは想定していないといけませんよね。

接客業はお客様の命も預ることになりますので、「今までの大丈夫」に信頼し過ぎないことも大事だとも思っています。

 

河崎をお散歩中のお客様もいつ何に見舞われるかはわかりませんから、

当店ではお客様も見られる場所にハザードマップを貼ったりもしていました。

 

(数多の百貨店さんで防災訓練に参加させていただいたりしてきたので、そういう意識が芽生えたのかと思っています。)

 

今、河崎では若手を中心に防災についても勉強会を開いたりして「明日の町つくり」を研究している最中です。

 

 

*いと志やの立地や伊勢市のつくりが気になった方へ↓地図上はこんな感じです。

ご参考までに。

 

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