伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

ブラタモリ顛末記~伊勢ブラタモリの裏側~

昨日の記事でも上げましたが、
ブラタモリの伊勢編の再放送を記念しまして、

ブラタモリのご案内人の皆様と一緒に鑑賞会を行います♪

それに先駆け…

当時の撮影やロケハンなどの裏側を克明に記録した

飯田先生のコラムを転載させていただく許可を頂戴しました。

 

町の皆さまの動き、

ディレクターさんや撮影スタッフの苦悩、

「こうしてあの高視聴率が生まれたんだ!」というサクセスストーリーでもあります。

 

伊勢好きの皆様も

ブラタモリ好きの皆様も

是非ともお読みくださいませ♪

 

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【告知】伊勢編再放送記念☆ウラ・ブラタモリの会開催します!

【告知】

ブラタモリ伊勢編再放送特別企画✨

豪華✨ブラタモリ案内人の皆様と リアルタイムでブラタモリ鑑賞会✨

 

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な、なんと!!!

超絶豪華なブラタモリ案内人の御三方と 皆さんをZOOMでつないで

お喋りしたり質問しながらブラタモリを視聴できる!!!

そんな夢のようなZOOMミーティングが

ブラタモリ案内人の千枝先生との共同企画で実現しました✨

 

ゲスト;千枝先生(伊勢街歩きご案内人)

   丸岡宗太夫さん(御師邸と御師のご案内人)

 

お時間次第では更にスペシャルゲストとして…

   福原先生(宇治山田駅のご案内人)

    が登場してくださるかも!??

 

しかも ゲストの皆様のご厚意と伊勢への愛で 無料配信です!

 

これは参加しないと損ですよね!?

伊勢の皆様も伊勢好きの皆様も是非ともご参加くださいませ♪

 

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伊勢編再放送記念!案内人の皆様とウラブラタモリ

 

時間: 2021年3月20日 07:30 PM

 

Zoomミーティング

https://us05web.zoom.us/j/86474040454?pwd=VnBDbUJReUJZYXZWV01kbUx0YkJUZz09

ミーティングID: 864 7404 0454

パスコード: 78Xm7T

 

⚠️御注意⚠️

⚠️当日の様子は後日YOUTUBEでも配信予定です。

  画面にお顔を映したくない方は、カメラに紙などを貼り、

  ご自身で映らないように対策をお願いいたします。

 

⚠️当日お仕事やご都合の悪い方は、どうぞ後日のYOUTUBE配信をお楽しみくださいませ!

 

⚠️ZOOMフリー版を使用予定です。

 画像の不手際なども予想されます。

 ご容赦くださいませ。

 

⚠️先着95名様までの入室となります。

 

⚠️入室は当日オンタイムでお願い致します🙏

【三重テラス】伊勢御師ウェブセミナー配信【お手伝いしてます♪】

【告知】

2021年3月3日(水)13:00時から

日本橋三重テラスにて

伊勢参りに大きな役割を担う御師とは?」 ウェブセミナーを配信します♪

 

伊勢の最後の御師邸を守る当代丸岡宗大夫 丸岡さんをゲストに

伊勢の「境界」筋向橋から丸岡邸までの道のりを ご案内いたします。

 

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zoomからご自由にご視聴いただけ、 ご質問もチャットから受付けします。 https://zoom.us/j/99814980998?pwd=d3FTL116dXpPSDZLM1d6UDVXbVJZQT09

↑アドレスから、どなたでもご参加できます。  

スマホからもご参加可能です。

*参加の皆様は姿は映りませんので、ご安心を!

 

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私は今回は裏方でアシスタント的な立ち位置です。

動画編集や人財のご縁繋ぎを行いました!

 

ご協力いただきました

ブラタモリ伊勢案内人・同朋大学の千枝先生、

度会町地域資源を守る会所属・地元案内人の御村さん、

ありがとうございます🙏

 

当日の模様は後日、 三重テラスのYouTubeチャンネルからもご視聴いただけます♪

 

📷数年前、丸岡邸にて。

 当日のムービーでは、貴重な丸岡邸の内部映像もご案内します♪

 

【三重テラス詳細ページ】

www.mieterrace.pref.mie.lg.jp

 

【拙YOUTUBEご案内ページ】

youtu.be

 

【YOUTUBE】御師とはなんぞや!??UPしました!

youtu.be

 

YOUTUBEに新作をUPしました♪

以前書いたこちらの記事を若干練り直した内容です。

itoshiya8ise.hatenablog.com

 

そもそも「御師」って何?

という以前に

そもそも「御師」って何て読むの?

 

というのが一般的な認識かな?と思いまして…。

はじめて「御師」って聞いたという方に向けて…というイメージでまとめてみました。

 

動画上にも登場します丸岡宗太夫邸などの

御師の残したものを伝える小さな小さな一助につながれば…という願いを込めています。

 

まずは何事も「知る」からはじまりますものね。

 

伊勢神宮以外の伊勢、そして伊勢の歴史を伝える活動は

伊勢にご縁をいただいた身としては

今後も続けていきたいです。

 

また伊勢界隈に返り咲く日を目標に!!!
(もちろん古民家)

 

【伊勢神宮】外宮―豊受大神宮―創始のお話

前回は神宮内宮の創始についてお話しました。
今日は外宮の創始についてお話したいと思います。

 

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まず、伊勢神宮外宮の正式名称はご存知ですか?
豊受大神宮」といいます。

「豊受」というのはご祭神に因むもので、
そのご祭神の名は「豊受姫命」と言います。

漢字で書きますと…【豊受姫


ですが、ほかにもこのような表記をされることもあります。


【豊宇気毘売神・登由宇気神・等由気太神・止与宇可乃売神】


読み方も「とゆうけ」とされることもあり、
神社名も「とゆうけだいじんぐう」と読むこともあります。

 

神宮においてトヨウケヒメ天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、
衣食住、産業の守り神とされています。

 

ところが、トヨウケヒメは実は伊勢出身の神様ではなく、
しかもこの地に鎮座ましましたのも、
内宮の遷座からおよそ500年近く経ってからだとされています。

どのような経緯で、トヨウケヒメはこの外宮にお越しになったのでしょうか?

 

それは、
雄略天皇22年(487年・皇紀1138年)のこととされています。

突如アマテラス大神が
「自分ひとりじゃ食事とかも面倒なんですけど~。
 身のまわりのことかしてくれる神、呼んできて~」と
天皇の夢に現れて語ったのです。

外宮の歴史を伝える『止由気宮儀式帳』『豊受皇太神御鎮座本紀』によりますと、
「一所のみ坐せば甚苦し」
「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、
丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」
とアマテラス大神はお告げになったと伝えています。

 

雄略天皇はこのお告げの通り、等由気大神を丹波国からお呼びになり、
度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始めらた、といいます。

 

この度会の山田原が、現在の伊勢の宇治山田の辺り、
つまり外宮だと考えられています。

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なんと、トヨウケヒメの出身地は丹後・現在の京都府なのですね。

ではこのアマテラス大神からご指名を受けた豊受姫とはどんな神様なのでしょう。


古事記』では
伊邪那美命が火の神カグツチを生んで病に伏した後に生まれた神・
和久産巣日(わくむすび)の子とされています。
ワクムスビは五穀と蚕・桑を生んだ神といわれ、
トヨウケヒメも食物・穀物の神とされています。
(*ワクムスビは「日本書紀」ではカグツチの子とされています。)

 

ところが、このような話も伝わります。
丹後国風土記』に、
丹波郡比治の里の比治山にある真奈井で水浴びをしていた天女のうちの一人が
羽衣を隠され帰れなくなった
という、
いわゆる「羽衣伝説」が語られています。
そしてその天女こそが、
豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるというのです。

 

この伝説に登場する「眞名井」は、
丹後国風土記』に記されている奈具神社であるという説、
また同じく丹後にある籠神社(このじんじゃ)の奥宮の眞名井神社であるという説などがあります。

 

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そしてこの「眞名井」という名は
アマテラス大神とスサノオ命がうけい・誓約を交わした場所と同じです。
これもまた、いわくありげですよね。

(眞名井は井戸の美称で「美しい井戸」という意味だという説もありますが…)

 

なぜわざわざ丹波の国から豊受姫を招いたのか…
諸説ありますが、実は今なおはっきりとはわかっていないのです。

また外宮の創始についても国史である『日本書紀』や『古事記』にその記述はありません。
まさに、ミステリー。


ここからはちょっと神宮トリビアです。


外宮に上御井神社という場所があるのをご存じですか?
実はここは一般人は参拝ができない場所なのですが、
神様のお食事や神事につかう水を汲む、特別な井戸があるのです。
この井戸が先ほどお話しました眞名井と関係があるとされています。

この御井は忍穂井(おしほい)と称するそうで、

「古伝によると天孫降臨の際、
 高天原天忍穂の長井の水を、
 丹後国比治の真奈井を経て、
 豊受大神宮ご鎮座の折、
 この御井に移し奉ったもの」と神宮会館のHPで語られています。

また、天の井戸と繋がっているという伝承や、
アマテラス大神の孫で高天原からこの葦原の中つ国に降臨したというニニギ命が掘った
という伝承もあるそうです。



先ほどお話しました眞名井とされる丹後の国の籠神社の奥宮・真奈井神社には
このように伝わっています。

「この水は籠神社海部家(あまべけ)三代目の天村雲命が
 神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、
 天上より持ち降った御神水です。

 天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、
 次に当社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷しました。

 その後、倭姫命によって伊勢神宮外宮にある
 上御井神社の井戸に遷されたと伝えられています。」

 

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倭姫の生きていたころにはまだ外宮はないはずなので、
色々と想像力を刺激される社伝ですよね。

 

天村雲命は、葦原中国の水質がよくないため,
天照大神の命をうけ,改良したという伝説もあります。

また、
外宮で代々神主を務めた度会氏の祖先神ともされています。

 

つまり、アマタラス大神とスサノオ命が誓約をした天の眞名井の水を
ニニギ命もしくは天村雲命が高天原から降臨するときに持って来て
降臨の地とされる日向の高千穂の井戸に移し、
更に丹波の眞名井に移し、
丹波から更に伊勢神宮・外宮の上御井に移した、ということになりますね。

 *天の眞名井の水とは、高天原の天忍石(あめのおしいわ)の長井の水である

  という説もあります。

  http://iselib.city.ise.mie.jp/images/furusato/2017nendo/18-1.pdf


天村雲命の子孫は丹波の眞名井も伊勢の上御井
どちらも代々守ってきたということにもなります。

(名前的には出雲とも関係が深そうな神ではありますが)

 

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更に、私が地元の方に教えてもらった伝承があります。
それは

「この上御井神社の水が枯れたら天変地異が起こる」

というものです。

御井神社の井戸の水は宮川が水源という説があります。
宮川は氾濫が多く水量が常にありますから、
これが枯れたとしたらまさに天変地異レベルの一大事です。


また、外宮内にある高倉山が水源…という説もあるようです。
高倉山のふもとにあたる山末神社からは水が涌き出ていますので、この説も有力ですね。

 

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御井に異変が生じた際は朝廷に使いを出し祈謝したとも言われるそうですが、
「未だ枯れたことはない」といわれています。

ただし、その万が一の時には
外宮のもうひとつの井戸・下御井神社の水をつかうことになっているそうです。

 

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『太神宮諸雑事記』(だいじんぐうしょぞうじき)に

 (*伊勢の神宮の,創建より平安末期までの主要事項を編年体で記した書。
  平安末期の撰,皇大神宮禰宜(ねぎ)荒木田一族の手で書きつがれてきた)

永承5年(1050年)に上御井の水が涸れ、土宮の前の水(下御井の水)を汲んだ

という記述が見られますが、これは定かではないとされています。


貞和五年(1349)に成立した『風雅和歌集』には

「世々を経て 汲むとも尽きじ 久方の 天より移す をしほ井の水 」
と読まれた歌が選ばれています。
この歌の作者は鎌倉末期から南北朝時代歌人であり度会姓を持つ外宮の権禰宜の度会延誠(のぶとも )です。
つまり、外宮の神官が「おしほいの水は代々枯れることはない」と唄っているのです。

 

ということは、やはり枯れたことはないのでしょうか?
それとも祈願の気持ちも込めて詠んだ歌なのでしょうか?

(この永承5年には天変地異はありませんが
 翌年に前九年の役が起きて
 武家の台頭と公家の衰退を招きます…
 公家から神宮への寄進が減る原因にはなっていきますね)

 

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また、出雲にも眞名井神社があります。
その東方に「真名井の滝」と呼ばれる滝があり、
この滝壺で汲まれた水は古来より出雲国造の神火相続式や新嘗祭の折に
用いられたとされるそうです。

眞名井、神事につかう水、と
外宮の上御井神社の水と共通点があることが興味深いですね。


伊勢と出雲のつながりについて、最近また気になってしまっています。

出雲の本も読み漁ったりしつつ…。

(出雲に友人がいるので、コロナ明けたらフィールドワークに出向きたいです!)

考えがまとまったらこのブログで発表しますねw

 

さて。

今日の内容もYOUTUBEでまとめています。
ご覧いただけましたらうれしいです。

 

youtu.be

 

【伊勢神宮】内宮―皇大神宮―創建のお話

今更ながらですが、

このブログで伊勢神宮の創始についてまだ書いていませんでした!

 

神宮の創始については異説が多く、

伊勢にいても色々な持論の方がいらして

謎の厚い厚いベールに包まれています。

まさにミステリー。

 

私もちょっとした持論はありますものの、

日本書紀』『古事記』に沿った一番スタンダードな説を

神宮ビギナーさん向けにまとめてみたいと思います。

(多分神宮の公式にも近いものだと思います。)

 

まず今日は内宮・皇大神宮のお話です。

 

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古事記』や『日本書紀』によると
皇大神宮の創始は「垂仁天皇25年」のことだとされています。
垂仁天皇25年というのは、紀元前5年にあたり、
初代神武天皇の御代をスタートとした皇紀では656年となります。
垂仁天皇は11代目の天皇です。

 

日本書紀』に

【離天照大神於豊耜入姫命。託于倭姫命
 爰倭姫命求鎮坐大神之処。而詣莵田篠幡。〈篠此云佐佐。〉
 更還之入近江国。東廻美濃到伊勢国。】

 

天照大神を豊鍬入姫命より離ちまつりて、
倭姫命(やまとひめのみこと)に託(つ)けたまふ。
ここに倭姫命、大神を鎮(しず)め坐(ま)させむ処を求めて、
菟田の筱幡(ささはた)に詣(いた)る。
さらに還りて近江国に入りて、
東のかた美濃を廻りて伊勢国に至る。


とあるのが伊勢神宮内宮の創始とされています。

 


初代の天皇である神武天皇はアマテラスの玄孫とされてることから、
アマテラスは天皇家の祖先の神=皇祖神とされているのは

皆さまご存知のことですよね。

 

アマテラスの御魂は八咫鏡に宿るとされています。
これは、アマテラスの孫であるニニギ命が高天原から降臨した時に
「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。」
とご自身の神霊を八咫鏡に込めたため…と『日本書紀』には記されています。

その後、八咫鏡は代々、天皇によって宮中で祀られることとなっておりました。

 

ところが、
神武天皇から数えて10代目の崇神天皇の御代、異変が起こります。

崇神天皇5年のこと、疫病が流行り沢山の民が死んだのです。
更に翌年にも百姓が逃散したりと良くないことが続いたため、
崇神天皇はそれらを鎮めようとします。

日本書紀』「には

【(祟神)六年、百姓流離、或有背叛、其勢難以德治之。
  是以、晨興夕惕、請罪神祇。
  先是、天照大神・倭大國魂二神、並祭於天皇大殿之内。
  然畏其神勢、共住不安。
  故、以天照大神、託豐鍬入姫命、祭於倭笠縫邑、仍立磯堅城神籬。
  神籬、此云比莽呂岐。
  亦以日本大國魂神、託渟名城入姫命令祭、然渟名城入姫、髮落體痩而不能祭。】


お百姓さんが村から逃げ出したり、悪いことが重なるので
占ったところ、アマテラスと倭大国魂神を並立して
宮中で天皇が祀ってるのがいけないと出た。
そこで、アマテラスを豊鍬入姫に託して、笠縫邑で祀らせることにした。
倭大国魂神は渟名城入姫命に託そうとしたが、

姫の髪の毛が抜け落ちたりして祀れなかった。

とあります。

 

ここに倭大国魂神も登場していますが、
今はアマテラス大神に焦点を絞りますね。

 

これは、
来宮中に祀られていたアマテラスを皇居の外に移すこととし、
豊鍬入姫命に託し、

大和の国(現在の奈良県)の笠縫邑に祀らせたと記されているのです。

つまり豊鍬入姫にアマテラスの御魂の宿る八咫鏡を託し、
宮中から離れた大和の笠縫邑で祀るようにしたのです。


豊鍬入姫は崇神天皇の皇女です。
崇神天皇は自らの娘にアマテラスを祀らせたのですね。

(それ故に、豊鍬入姫が斎宮のはじまりとする説もあります。)

 

そして、その後を継いだのがヤマトヒメです。

ヤマトヒメは垂仁天皇の皇女で、トヨスキイリヒメとは伯母・姪の関係にあたります。

トヨスキイリヒメがアマテラス祀っていたカサノヌイムラは神籬(ひもろぎ)、
つまり臨時の社、仮の社のようなものでした。
そこでヤマトヒメはアマテラス大神の御杖代となり、

正式に鎮座する場所を探す旅に出ます。
御杖代とはその名の通り、旅の供であり、アマテラス大神の依り代です。

ヒメミコの旅ですからお一人でアマテラス大神の御魂と旅をしたのではなく、
もちろんお供も伴ってのものとなります。


延暦二十三年(804)に伊勢大神宮が神宮の儀式などをまとめて太政官に提出した
延暦儀式帳』の阿紀(あき)神社の項には以下のようにあります。

 

 【次の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)にて
  天下をお治めになった活目天皇(いくめのすめらみこと。垂仁天皇)の御世、
  倭姫内親王を御杖代(みつゑしろ)とされ、いつき奉った。
  美和の御諸原に斎宮を造り、おいでになってお祭りを始められた。
  その時倭姫内親王は、大神を頂き奉って、
  大神の願う国を求めて美和の御諸原を出発された。
  その時、御送駅使(はゆまつかひ)として、
  阿倍武渟川別命(あへのたけぬなかはわけのみこと)、
  和珥彦国葺命(わにのひこくにぶくのみこと)、
  中臣大鹿嶋命(なかとみのおほかしまのみこと)、
  物部十千根命(もののべのとちねのみこと)、
  大伴武日命(おほとものたけひのみこと)、
  合わせて五柱の命が使いとして同行した。
  その時、宇太の阿貴宮(あきのみや)に坐し、
  次に佐々波多宮(ささはたのみや)に坐した。
  この時、大倭国造(やまとのくにのみやつこ)らが

  神御田と神戸をたてまつった。】

 

(この御送駅使の面々がまた興味深い面子なのですが、

 その追及は後回しにします。)

 

鎌倉時代に記された『倭姫命世記』によりますと、

 大和国宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、四年間奉斎。
この時、倭国造は、采女 香刀比売(かとひめ)、地口・御田を進った。
大神が倭姫命の夢に現はれ「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐せ奉れ」と諭し教へた。
倭姫命はここより東に向って乞ひ、うけひして言ふに、
「我が心ざして往く処、吉きこと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と祈祷して幸行した。
 すると佐々波多が門(菟田筏幡)に、童女が現はれ参上したので、
「汝は誰そ」と問ふと、
「やつかれは天見通命の孫、八佐加支刀部(やさかきとめ)〔一名は伊己呂比命(いころひのみこと)〕が児、
宇太乃大称奈(うだのおほねな)」と申上げた。
また「御共に従ひて仕へ奉らむや」と問へば「仕へ奉らむ」と申上げた。
そして御共に従って仕へ奉る童女を大物忌(おほものいみ)と定めて、
天の磐戸の鑰(かぎ)を領け賜はって、黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、
左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、
左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉った。
元(はじめ)を元とし、本を本にする所縁である。
また弟大荒命も同じく仕へ奉った。宇多秋宮より幸行して、佐々波多宮に坐した。

 

この宇多秋宮と佐々波多宮はそれぞれ阿紀神社と篠畑神社とされています。


こうしてヤマトヒメは大和国から伊賀・近江・美濃・尾張と諸国を旅しますが、
なかなかアマテラスは「ここだ」と首を縦に振ってはくれません。
伊勢の国に入り、五十鈴川の川上に至ったときについに

 

【是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國】

 

この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ。

 

とようやくOKサインを下さります。

そう、そこが現在の伊勢神宮の内宮だとされているのです。

 

ヤマトヒメ的には
「長かった…なんでこんなに延々と旅させられたんだろ…。
 アマタラスめぇ、ワガママすぎやろ!?」
と恨み節の一つも言いたくなったに違いないほどに、この旅は長きにわたっていて、
立ち寄った場所には「元伊勢」と呼ばれる神社が数多く存在します。
この元伊勢のお話は以前にも触れましたので割愛いたします。

 

以上が大雑把ではありますが、

皇大神宮創始のお話です。

 

異説についてもまたの機会にまとめてお話してみたいなぁと思います♪

 

youtu.be

 

 

YOUTUBE はじめました!

皆さま、少々ご無沙汰しておりました。

そして遅れ馳せながら

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年は結局1度も伊勢入りが果たせず…となりましたが、

昨年11月頃に、じわっと動きがありまして

今年は東京からリモートで伊勢を盛り上げて行こうと思っています。

 

名付けて「令和の御師計画」!!!

 

東京在住の伊勢に縁の面々と伊勢の友人知人識者の皆様を繋ぎつつ

色々と企画していきたいと思っています。

 

その序段としまして、YOUTUBEチャンネルを開設いたしました!

 

このブログで考察を重ねたことも取り入れつつ、

伊勢の魅力と歴史をお届けしたいと思っています。

youtu.be

そして大風呂敷ついでに、

今年は執筆を仕事にしたいと思っております。

 

皆さま、どうぞご助力のほど宜しくお願い申し上げます!!